愛媛県宇和島市|宇和島の城下町をよりみち

愛媛県宇和島には、築城の頃の天守が現在もそのまま残されている「宇和島城」があります。宇和島の街はその名残を感じる古い町並みもあります。

【よりみちレポート】愛媛県宇和島市|宇和島の城下町をよりみち

日時:2018年3月
エリア:愛媛県(宇和島市)

桜の風景の今治、菜の花の風景の大洲、段々畑の風景の宇和島と、愛媛県をよりみちしました。

よりみちスポット

朝の宇和島商店街

朝の宇和島駅。闘牛の銅像がありました。宇和島には闘牛部文化があって、「うわじま闘牛定期大会」が年に5回開催されます。17世紀の後半頃、宇和海を漂流していたオランダ船を福浦の漁民が救助し、礼として贈られた2頭の牛がたまたま格闘したことから始まった、と伝えられます。

宇和島のお祭りも「うわじま牛鬼まつり」と「牛」がテーマになっているので、関係があるかもしれません。

宇和島駅前の通りからよりみち開始です。このまま西へ15分ほど歩くと、フェリーターミナルがある「宇和島新港」に出ます。町のあちこちに、宇和島名物じゃこ天のお店があります。どこで買おうか迷ってしまいますね。

おみやげように真空パック詰されているものもありますが、おすすめは、街のスーパーや惣菜やで購入できる揚げたての「じゃこ天」です。

【参考記事:】

駅前の道から曲がって南の方へと伸びる「宇和島きさいやロード商店街」。このまま「袋町商店街」もつながっています。アーケード街がありますが、朝は流石に静かです。

寺町によりみち

朝の散歩にちょうど良さそうな「寺町」によりみち。宇和島駅の南東あたり、辰野川沿いにたくさんのお寺が並びます。「辰野川流域の寺町風景」として宇和島新24景に選ばれています。

鎌倉時代に創建された宇和島最古の寺院「西江寺」。「西江寺庭園」は江戸時代初期作とされる枯山水庭園で、奥に見える山々借景が美しいです。愛媛県指定名勝に指定されています。

辰野川沿いにあるガードレールは、木でできていました。あまり見かけないですよね。

味のある細い路地も多く見かけます。

かなたに宇和島城が見えます。

江戸時代初期、初代宇和島藩主・伊達秀宗(伊達政宗の長男)によって創建された「龍華山等覚寺」。伊達家の菩提寺となっており、歴代藩主の墓所が県や市の史跡に指定されています。明治時代に造られた立派な山門があります。豊川稲荷もありました。

「宇和津彦神社」は宇和島城下の総鎮守で、古くより当地方の一宮として崇められ、江戸時代以前は一宮大明神と称されていました。

朝に散歩している方と多くすれ違いました。清々しくて気持ちよかったです。

白い花の橋が見られる「天赦園」

宇和島城の南西あたりにある「天赦園」によりみち。寺町からだと、西の方へ10分ほど歩いたところにあります。入園料500円。

七代藩主、伊達宗紀(むねただ)(春山)が隠居の場所として建造した池泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園。「天赦園」という名前の由来は、伊達政宗が隠居後詠んだ

馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し
残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん

という漢詩から採ったもの。 書院式茶亭である潜渕館(せんえんかん)は、大正11年、昭和天皇陛下が皇太子のころ、天赦園御成の際の御座所にあてられたこともあります。

天赦園の中はかなり広い庭になっていて、池に大きな橋がかかっています。

この大きな橋は、歩いて渡ることはできません。橋自体が藤棚になっていて、白い花の種類の藤が時期になると咲きます。訪れた時期が3月で、少し早かったです。白い花が咲くと、池の水にも写って、上下に白い道ができます。

宇和島の街を見渡せる「宇和島城」へ

先ほど寺町から遠くに見えていた「宇和島城」へ。遠くからでも、家よりも上に見えるということは、小高い場所にあるということですね。階段を登って、宇和島城へ。

「宇和島城」へはいくつか登り口がありますが、こちらは南側にある「上り立ち門」。宇和島城の現存建造物は、天守と上り立ち門の二棟のみです。何百年もここにある門なんですね。

門を潜ると岩の階段が続きます。城に攻め入るぞという雰囲気があります。

今治の桜はまだ5分咲きくらいでしたが、こちら宇和島の桜は、ほぼ満開。この辺りは高知と同じ時期に早めに咲き始めるそうです。ところどころに桜の木がありました。

まだまだ階段を登って行きます。

桜に囲まれた「宇和島城」の風景。やはり、愛媛県のお城は写真に収めやすいです。

レトロとモダンが同居する「木屋旅館」

宇和島のまちをよりみちしていてふと気になった、「木屋旅館」。宇和島城の南側あたりにあって、「じゃこ天」を買った惣菜屋「ニュー兵頭」も近くにあります。

レトロな感じの旅館のたたずまいですが、どことなくモダンな雰囲気もあります。新旧が入り混じった雰囲気です。

元々は明治44(1911)年、創業した旅館でした。後藤新平、犬養毅、作家では司馬遼太郎、吉村昭、五木寛之のほか、国語学者金田一春彦らが宿泊した歴史があります。明治時代の旅籠の面影が残る木造2階建て。平成7(1995)年、惜しまれつつ廃業しました。

長らくそのままにされていましたが、平成24年春、新しい滞在型の観光名所として再生オープンしました。こちらのマスターは、ポーランドの方です。一棟貸ししているので、大勢で泊まるとお安くなります。建物の中は有料ですが、見学することができます。

一見すると普通の旅館に見えます。

モダンな造りのお風呂。

透明な床という斬新な造りの部屋もあります。夜暗くなるとLEDで、好きな色に染めることができます。

その感じがどこかで見たことあるな、と思って道後温泉の本館をいろんな光で照らしたアートイベントが昔あったのを思い出したんです。

その話をしたら、「うちの方が先で、そのアートイベントの方が見学にきてました」ということだそうです。

石造りの太鼓橋と大鳥居が印象的な「和霊神社」

宇和島駅から北の方へ向かうと、「和霊公園」があります。その公園を更に北に抜けていくと、須賀川にかかる大きな石橋が見えてきます。この「神幸橋(太鼓橋)」を渡ったところにあるのが「和霊神社」です。「和霊神社」の社殿は、四国でも指折りの大社といわれるだけあって、他のところの造りもスケールが大きいです。「神幸橋(太鼓橋)」もこの大きさのところはなかなかありません。

神社の正面には、太鼓橋のかかった川の手前に「和霊公園」がありますが、ここに石造りでは日本一の大きさといわれる大鳥居が空に向かってそびえ立っています。昭和13年建立されたミカゲ石づくりの大鳥居です。これもかなり大きいです。 

漁業を中心に広く産業の神として、中四国で崇められている和霊信仰。その総本山といえるのが、この「和霊神社」です。だからこれほどまでの大きな規模の神社になるんですね。

祭神である山家清兵衛(やんべせえべえ)は、米沢の生まれ。伊達秀宗の元で、産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮した清兵衛ですが、元和6年(1620)凶刃に倒れました。その後この事件に関与した者が相次いで海難や落雷で変死したため、人々は清兵衛の怨霊だと恐れ、その霊を城北の地にまつりました。それが和霊神社の始まりです。

7月23・24日の「和霊大祭」は四国の有名な祭りの一つでもあり、「うわじま牛鬼まつり」と同時に開催されます。

懐かしいがある駄菓子屋「ナイトストア山本」

「和霊公園」の近くに、子供たちが集まるお菓子屋さんがありました。和霊公園で遊んでいた子供たちがみんな「ナイトストア山本」に吸い込まれて行きます。

みんな何を頼むかと思ったら、かき氷でした。

マスカットのかき氷をいただきました。小サイズは100円!!!安い!

大でも150円。10種類くらいシロップの味があります。

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