長崎県対馬市|天草・佐賀・対馬のよりみち旅28〜上対馬の韓国展望所・豊砲台跡へ

対馬の北の港町、比田勝(ひたかつ)から、上対馬にある定番観光スポットの「豊砲台跡」と「韓国展望所」によりみちしました。行きだけ路線バスを利用して、近くで下車。2つのスポットはそれほど離れていないので、歩いてよりみちしました。

今回はよりみちしませんでしたが、「異国の見える丘展望台」「オメガ公園」などのよりみち観光スポットがあります。行くのは大変なんですが、「オメガ公園」はかなり気になってます。オメガ塔という船舶のための設備が昔あって、454メートルの高さがあったんだとか。GPSの普及で解体されたそうですが、跡地に少しだけ展示されています。

対馬を走る路線バスを利用するなら、フリー切符がお得です。対馬交通のバスが乗り放題になる1日券が1000円(2019年から1040円)、1ヶ月券が5000円(2019年から5230円)と破格の値段設定です。

【よりみちレポート】長崎県対馬市|天草・佐賀・対馬のよりみち旅28〜上対馬の韓国展望所・豊砲台跡へ

日時:2018年8月〜9月
エリア:長崎県(対馬市)

天草・佐賀・対馬をよりみち旅しました。

よりみちスポット

「鰐浦・比田勝循環バス」で「豊砲台跡・韓国展望台」方面へ

上対馬の定番観光スポット「豊砲台跡」や「韓国展望台」まで公共交通機関を使った行き方をご紹介して行きます。

比田勝バス停からは路線バスに乗ります。昨日「上対馬温泉渚の湯」からの帰りに乗ったのと同じ、「鰐浦・比田勝循環バス」に乗ります。昨日と同じ運転手さんでした。

この「鰐浦・比田勝循環バス」は、1日4便しかありません。右回りが2本と左回りが2本です。朝晩は学生さんのために走っている感じです。上対馬のあたりの半島をぐるっと海沿いに一周する感じで走ります。海辺を行くので、バスに乗って車窓を楽しんでいるだけでもいいかもしれません。夕暮れ時に行くと、昨日のように夕日が沈む風景を車窓から楽しめます。

ほとんど地元の方が使われるだけの路線です。まず観光客の人は乗らないようです。学生が何人か学校まで乗って行きました。

12分ほどの乗車で最寄りのバス停の「落土バス停」に到着します。ですが、この「鰐浦・比田勝循環バス」路線は自由乗降区間なので、「この辺りで」と運転手の方にいえば、おろしていただけます。

「豊砲台跡」に行きたいということを運転手の方に伝えておきましたので、「ここ行くと、豊砲台跡。同じ道を戻って韓国展望所に行ったほうがいいよ」と教えていただきました。一応、砲台跡から展望所に抜ける道があるそうですが、歩きにくいみたいです。

落土バス停から歩いて「豊砲台跡」へ

バスを下ろしていただいたところに「豊砲台跡」まで0.8kmの案内看板がありました。途中に坂道があるので、10分強くらいです。

2、3分道なりに行くと海に出ました。ここにも親切に「豊砲台跡」への案内板があります。

やはりここも波がないです。もはや大きな池のような感じです。

周りには、ほとんど建物がありません。向こうに倉庫のような建物があります。「豊砲台跡」へはあの向こうの辺りを上って行きます。

先ほど海越しに見えていた建物は、倉庫ではなく、食事処でした。「憩い処 和(カズ)」。海辺のところにこのお店だけ、ちょこんと建物が建っている感じです。

訪れたときはまだ朝早かったのでやっていませんでした。ちょうどスタッフの方がオープン準備で訪れているようでした。ランチタイムのみの営業です。

お食事処「憩い処 和」の脇にある坂道を上って行きます。

比田勝で見かけたピンクの旗のマークがここにもありました。対馬の形を簡単にしたマークです。確かに、対馬の形というと、真ん中あたりがキュッとなっているイメージです。くびれのあたりに対馬空港があります。

坂道を登っていきます。あたりには「落石注意」の看板やカラーコーンがあちこちに置いてあります。

いろんなところが崩れています。柵に向かっても落ちてきています。

沿道の地層を見てみると、細かく筋が入ったような模様をしています。今にもパラパラと崩れてきそうな脆い感じです。

壁から剥がれ落ちたものが、柵を越えてこんもりと堆積しています。手に取ってみると、パラパラ崩れます。木炭のチップみたいです。この地域の地層がこんな感じだったら、そりゃ崩れてきますね。

どうやら「頁岩(けつがん)」という地層のようです。細かい泥の粒子が水中で水平に堆積したものが脱水・固結してできた岩石のうち、堆積面に沿って薄く層状に割れやすい性質(へき開性)があるもののことを言います。「頁」の字は本のページを意味し、この薄く割れる性質から命名されたそうです。

対馬は、主に泥質の層からできていて、この「頁岩」か「頁岩・砂岩の互層」なんだそうです。だから、田畑に向かない土地が多いそうです。

写真を撮りながら、15分ほどで「豊砲台跡」に到着。

暗闇と光のコントラストが素敵な遺構「豊砲台跡」

「豊砲台跡」は第一次世界大戦後にできました。

第一次大戦後、激しい軍拡競争による財政負担に苦しむ英米日などの主要国は、ワシントン海軍軍縮条約(1921年)を締結し、旧式戦艦および未完成艦の廃棄を決定しました。その結果、使わなくなった艦砲は東京湾・対馬・壱岐・鎮海などの重要海域の要塞砲に転用されることになりました。
 豊砲台には、日本海・対馬海峡・朝鮮海峡の制海権を確実なものにするため、同条約により航空母艦に改造されることになった軍艦「赤城」の40.6cm加農(キャノン)砲一基2門が移設されたと言われています。

昭和4(1929)年5月に起工、昭和9(1934)年3月に付帯設備をふくむすべての工事が完了し、砲身長18.5m、砲身重量108トン、実用射程距離は30.3kmという、世界最大級の巨砲が出現しました。
 第2次世界大戦終結後の昭和20年10月、米軍の爆破班により武装解除されましたが、鉄筋コンクリートの厚みは2m(砲塔部は3m)にもおよんで完全には爆破・解体できず、当時の姿をいまに留めています。巨大な砲身は解体されて八幡製鉄所で溶かされ、戦後復興の資材になったとされています。

いざ洞窟へ。真っ暗で、かなり怖いです。中にコウモリが住んでいて、羽の音だけが聞こえてきます。かすかに向こうに光が見えます。

ここに砲台があったんですね。その砲台は一度も火を吹くことがなかったそうです。

すごくさびしい空気が感じられます。

砲台跡の周りにぐるっと回れる道があります。闇の中に光が差し込んでくるような風景が見えます。

あとで知ったのですが、入り口のあたりに、照明装置のスイッチがあったそうです。一度つけると30分ほど点灯しているんだとか・・・早く言ってよ!でも、暗い中の風景というのも面白かったです。照明をつけたところも見てみたかったです。

韓国が見える?!「韓国展望所」

「豊砲台跡」の次は「韓国展望所」へよりみちします。「豊砲台跡」から来た道を戻って、バスを降りた道まで行きます。白い花が咲く道を、西の方へ少し歩くと「韓国展望所」への案内看板が見えてきます。

こちらも、バス停から10分ほどですが、ずっと坂道を上って行きます。

「韓国展望所」までの途中に門があります。韓国国際ターミナル(釜山)の入口ゲートをモデルにしているそうです。

門を越えたところに駐車場があるので、「韓国展望所」の近くまで車でもいけます。駐車場にはトイレと飲み物の自販機だけありました。地元の方がトイレの清掃をされていました。

注意書きが日本語とハングルで書いてあります。「ガムの吐き捨て禁止!」「弁当の容器は捨てないでください」。これだけ書くということは、相当ポイ捨てが多いんでしょうね。

「韓国展望所」は、ソウルのパゴダ公園にある多目的施設をモデルにしています。ここから韓国まで49.5㎞の至近距離にあるので、天気のよい日には韓国釜山市の町並みが望めるそうです。訪れていた方が何人かみえましたが、日本語ではない言葉が聞こえました。

この道に虻がたくさん飛んでて、ずっとブーンという音が聞こえてます。歩いて行くのがちょっと怖かったです。

虻が入ってきちゃいうので、「窓は閉めてください」とこちらも日本語とハングルで書いてあります。無料で利用できる望遠鏡があります。

おお、あんなに近くに韓国が・・・いえいえ、あれは自衛隊の基地がある海栗島です。なんだか、自衛隊の基地を監視しているように望遠鏡が立ってますね。

一応この方角に釜山のまちがあります。うっすらと水平線の向こうに山並みが見えるような気がします。

「韓国展望所」を後にして、厳原方面のバスも走る大浦のあたりまで5キロほど歩いていきます。今回は5キロ歩いて帰りましたが、「鰐浦・比田勝循環バス」の昼便にうまく乗れると、楽に戻れると思います。

歩いて行く途中で、「鰐浦地区」が気になったので、この後よりみちしてみました。

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