島根県海士町|隠岐へ行こう7〜海士町2日目、「中ノ島」北部の豊田から隠岐神社までよりみち観光

2019年夏のよりみち旅は「そうだ、隠岐へ行こう!」ということで、島根県の隠岐の4つの島を巡りました。海士町「中ノ島」での1日目は雨でしたが、2日目はなんとか曇りで雨が止みました。前日に雨のためよりみちしにくかった、菱浦港周辺を再び訪れてみました。

その後、路線バスで終点の「豊田」まで行き、時間のある限り菱浦港を目指して歩きながらよりみちしました。「明屋海岸」「Muller’s Farm」「宇受賀命神社」「あまマーレ」「隠岐神社」などによりみちしました。

【よりみちレポート】島根県海士町|隠岐へ行こう7〜海士町2日目、「中ノ島」北部の豊田から隠岐神社までよりみち観光

日時:2019年8月
エリア:島根県(隠岐郡海士町)

隠岐島4島(西ノ島、知夫里島、中ノ島、隠岐の島)をめぐりました。

よりみちスポット

宿泊施設「B&Bあとど」から菱浦港へ

菱浦港から徒歩5分ほどのところにある「B&Bあとど」に宿泊しました。宿泊体験の記事は前の【参考記事:】をご覧ください。

海沿いに、向こうに見える菱浦港までよりみちしていきます。

前日は雨で、外からの雰囲気を楽しむことができませんでしたが、ラフカディオハーン来島100年記念碑などがある「八雲広場(佐渡公園)」前のレトロなベンチ。ラフカディオハーンのペンネームが「小泉八雲」で、怪談話で有名な作家です。「令和」な感じがしません。古き良きロマンという感じです。

「八雲広場」には、小泉八雲と妻セツさんが座っている銅像が設置されています。

港には漁船もたくさんとめられています。雨が降っていた昨日は、こういう風景も楽しめませんでした。

隠岐牛が食べられる「島生まれ島育ち 隠岐牛店」の裏あたりに、きれいに整備された蔵がありました。海士町に移住されたセラピストの方が「島のほけんしつ 蔵 kura」という場所を開設されています。

香りのイベントを開催したり、心が休まる場所のようです。この日も外には靴が並んでいました。

菱浦港のフェリーターミナル「キンニャモニャセンター」は、内装も木の温もりを感じる雰囲気でしたが、外装も同じように木の温もりを感じます。フェリーに乗る連絡通路も木でできていたり、外の開放的な待合所も、木のベンチやテーブルが置いてあります。単純にこの場所に来て時間を過ごすだけで、素敵な時間になりそうです。

大型の「フェリーくにが」などに乗る時は、「キンニャモニャセンター」の二階の連絡通路から乗り込みますが、高速船「レインボージェット」や内航船などの小型船に乗るときは、岸から直接乗り込みます。

ちょうど朝便の「レインボージェット」が到着していました。島後の西郷港を経て、本土の境港港へむかう便です。

海士町北東端の「豊田」の風景

菱浦港から路線バスの「豊田線」に乗って、終点の「豊田バス停」までいきました。元々の予定は、明屋海岸によりみちしようと思ったので最寄りのバス停になる、一つ手前の「明屋バス停」で下車しようと思っていましたが、せっかく行くので、終点まで行って歩いて戻ってくることに急遽決めました。

25分ほどの乗車で「豊田バス停」に到着。目の前が、豊田漁港のある海です。天気はそれほど良くはありませんが、海はとても穏やかでした。

「明屋海岸」とは反対の方向に少し行くと、「大歳神社」の階段がありました。

小さな社ですが、立派な狛犬がいました。この辺りは、お寺よりも神社が多くあるイメージです。

「豊田公民館」も、木の雰囲気を大切にしているような外観です。

豊田漁港。

海からすぐなので、津波の避難場所情報も欠かせません。避難先が「崎野さんの農機小屋」というのが、なんともローカルな感じがします。

のんびりとした雰囲気の豊田地区でした。

向こう岸の小高い山を超えたところにある「明屋海岸」に向かいます。

ハートに見える岩?「明屋海岸」

「豊田バス停」から歩いて10分ほどで「明屋(あけや)海岸」に到着しました。この辺りは周りに防波堤になるようなところはないのですが、隠岐の周りの海は、波が穏やかなことが多いです。どうも、海底から火山が盛り上がってできた地形らしく、浅い海が多いそうです。だから、波が穏やかになります。

海がそれほど深くないので、島前の3島の間は大型船が通れないらしいです。だから小型の内航船で結んでいるんですね。

「明屋海岸」は観光案内にも良く載せられているところです。それが、ちょうど写真の左側に見えている岩場のところです。

岩山のところに穴が空いています。これが「ハート岩」と言われていて、ハートの形に・・・見えない。

角度によって、ちょうどハートに見えるそうです。絶妙な角度をぜひ見つけてくださいね。海岸の左のほうに行った方がハートに見えてくるみたいです。

上の駐車場から下りたところに、テーブルと椅子が置いてあって、ここで座って風景を楽しむことも出します。

「ハート岩」以外にも、この辺りで、隠岐ユネスコ世界ジオパークの風景も見られます。ハート岩のあたりの岩場を見てみても、特徴的な赤茶けた色合いの岩になっています。

約280万年前、ここで大規模な溶岩と火山ガスの噴出があり、その際にできたのがこの周辺の崖などの大地です。噴出された溶岩のしぶきの中には多くの鉄分が含まれていました。しぶきの中の鉄分が噴出後に急速に空気中の酸素と反応を起こして赤く酸化し、その結果赤い崖が形成されたと考えられています。

こちらの自然は「明屋海岸のスコリア丘」(スコリア丘というのは溶岩のしぶきが降り積もったもの)として隠岐ユネスコ世界ジオパークの見どころの一つに指定されている場所でもあり、かなり珍しい絶景なのです。

太古の昔を感じてみるのもいいですね。

朝食で出た野菜や卵を生産する「Müller’s Farm」

「明屋海岸」から海沿いの道を行きます。海沿いといっても、海から少し離れたところを通っているので、もはや山道のような雰囲気です。

30分ほど歩いていくと、畑が広がるところに出ました。畑の周りには、牛やヤギもたくさんいました。

この辺りがドイツ出身のフランク・ムラーさんが手がける「Muller’s Farm(Müller’s Farmムラーズ・ファーム)」という農園です。昨晩宿泊した「B&Bあとど」の朝食で出てきた野菜や卵は、この農園のものでした。看板に「たまご6個300円 10個500円」と書いてあって、農場の片隅に設けられた「ファームショップ」(無人販売所)で購入できるみたいです。

【参考記事:】

宇受賀地区の湾を見下ろす高台に位置する荒れ地を1人で開墾。水道も電気も通じていない土地に鶏舎を建て、80羽の鶏を飼育し、同時に西洋野菜を中心とした作物を育てているんだそうです。なんかすごいですね!

黄金色に囲まれた「宇受賀命神社」

「Müller’s Farm」から少し歩くと、かなり広い広場がある「宮の原公園」がありました。この辺りは田んぼが広がっています。その田んぼの先の木が生い茂ったあたりに鳥居が見えます。

田んぼの中に道が一本通っていて、その先にあるのが「宇受賀命神社(うづかみことじんじゃ)」です。海士町の観光案内でもよく見かける神社です。

なんといっても、周りが稲の黄金に囲まれてた中に続くこの一本道と、その先にある鳥居という風景が、なんとも言えない情緒があります。

梅雨から夏にかけての緑、秋の実りの黄金色、冬の白など、いろいろな色彩の中でこの風景を見てみるのも素敵だと思います。

現在の社殿は、火災により大正6年に再建されたもので、本殿を高台に置く隠岐造。宮司さんは常駐していないので、祈願、朱印については、現在は隠岐神社にて受付けているそうです。

隠岐四大社の一つで、五穀豊穣、海上安全、安産の神様として古くから島民の信仰を集めていた神社です。西ノ島の比奈麻治比売命(ひなまちひめのみこと)を妻とするために、大山神社の神様と力比べをした伝説が残されており、豊田の明屋海岸にはこの伝説にちなんだ島の名前などがつけられています。

「宇受賀命神社」の本殿から戻ってくると、可愛い参拝者たちがいました。ここでプチよりみちコンサート開催して、終了後にようかい手々てん発見。

近くにある「あまマーレ」という施設から来たそうで、これからすぐ近くにある海辺に行って、海の水を組んでくるんだそうです。せっかくであったので、このあと「あまマーレ」にもよりみちしました。

地元のコミュニティスペース「あまマーレ」

子供たちと別れてから、「あまマーレ」に向かいました。「宇受賀命神社」から歩いて15分ほどで「あまマーレ」に到着。「あまマーレ」は、もともと「第一けいしょう保育園」だった建物を利用した、コミュニティスペースです。

ホームページには「海士町のあそび場」とも書いてありました。

いつでも自由に誰もが遊びに来られる場所といった感じです。ちょっとしたセルフのカフェコーナーや、古道具屋もあります。奥のスペースには、アップライトピアノもありました。

外の広場では、子供たちが、水遊びをしたりしていました。トイピアノに水はかけないでね!

「海士小学校」のある集落へ

海士小学校の前を通って、田んぼの中の道をいきます。路線バスもこの道を通っていきます。

海士小学校を越えた辺りには、なんともノスタルジーを感じる「仁田薬店」や蔵などの建物が多くあります。

島での生活を支えてくれる、「亀田商店」もありました。隠岐の土産物も購入できます。実は「豆腐屋」なんだそうです。ここで作られた豆腐や厚揚げは、他の商店にも卸していて、地元の方には大人気なんだそうです。一見すると「豆腐屋」には見えないので、「亀田商店」といえば「豆腐」と言えるのは地元の方ならではなのかもしれません。

昨日よりみちできなかった「後鳥羽天皇火葬塚」へ

「亀田商店」を過ぎると、昨日よりみちした「隠岐神社」までは歩いてあと10分ほどです。なんとか天気も曇りでもってくれているので、「隠岐神社」の周辺で昨日よりみちできなかったところにもよりみちしてみました。

「後鳥羽天皇火葬塚」の入り口にあるのが「後鳥羽上皇隠岐山陵」と「忠魂碑」の石碑です。

この左に、「後鳥羽天皇火葬塚」の奥へ進む道があります。宮内庁管轄の土地で、入り口に「みだりに域内に立ち入らぬこと 魚鳥類を取らぬこと 竹木等を切らぬこと」と看板がかけられていました。

塀に囲まれた「後鳥羽天皇火葬塚」。

徳川幕府崩壊からしばらく経った1873年(明治6年)、明治政府は、後鳥羽天皇(1180〜1239年)の御霊を正式に京都に迎える勅使を隠岐に派遣しています。勅使が離島に来ることは、めったに無いことなので、人情の厚い隠岐の人々は、連日連夜、新鮮なアワビやイカなど海の幸と隠岐の酒を盛大にふるまい、大歓迎をしたようです。思わぬ大歓迎を受けた勅使によって、おごそかに京都に移された御霊(遺灰)は、三千院からほど近い後鳥羽天皇大原陵に改めて埋葬されています。その後、明治政府は海士町に後鳥羽天皇火葬塚の破壊を命じますが、その際、お墓を掘り起こしたところ、上下三段に埋められた(634年前のものと思われる)瓶が見つかったといいます。一番上の瓶は壊れていましたが中に銅銭があり、2番目の青い瓶には、周囲のものとは明らかに質の違う土が入っていたと記録されています。これが後鳥羽天皇の遺灰だとすれば、一番下の瓶には何が入っているのか、恐れ多いと感じた町の係員は、中を改めずに埋め戻し、すぐ県に報告したようです。

「後鳥羽上皇行在所跡」。承久の変で破れ,隠岐配流19年間,その行在所(源福寺)跡。行在所跡にある「勝田池」と「礎石」が当時を物語っています。

「行在所跡」からすぐ隠岐神社の本殿へ行ける近道があります。戻って鳥居のところから入りました。

「隠岐神社」へ再訪

戻って鳥居のところから「隠岐神社」によりみちしました。結構奥行きがあって、4、5分歩きます。

「隠岐神社」を入ってすぐのとこにある「離島キッチン 海士店」。「隠岐神社」の講堂をリノベーションしたお店です。予約制のお店で、昨日は開いていませんでした。今日はどなたかが予約されていて、オープンしているみたいです。

「離島キッチン」の方にお願いして中を見学させていただきました。

こちらの建物も木の温かみを感じる内装です。食事は、海の幸と海士町産の米でつくる「島の海鮮土鍋御飯」と隠岐牛の希少部位の三種盛りがいただけたりします。団体の予約のみの受付なので、ふらっと食べにいくのはできなさそうですね。

昨日も訪れましたが、とても静かです。昨日は雨の中よりみちしたので、雨の音が聞こえていましたが、今日は鳥の鳴き声と虫の声が響いています。

団体の方が参拝されていて、ちょうど帰りにすれ違いました。多分、このあと、離島キッチンで食べられるんですね。うらやましいです!

「流転の梵鐘」を鳴らしてみる

「隠岐神社」の向かいにある建物は「海士町後鳥羽院資料館」です。その右奥に行くと、「流転の梵鐘」があって、鐘をつくことができます。

先ほど訪れた、「後鳥羽上皇行在所跡」にもともとあったのが、勝田山源福寺でした。この鐘は、その源福寺にあった「流転の梵鐘」のレプリカがあり、その説明文に次のように記されている。

梵鐘は明応六年(一四九七)院の追善供養のため寺院に寄進されたものですが
永禄九年(一五六六)丹波但馬地方の海賊に略奪されたと伝えられのち
天保七年(一八三六)に石見の国 温泉津で発見されました

延応元年(1239)にこの地で亡くなった後鳥羽上皇の冥福を祈って、明応六年(1497)に源福寺に寄進された鐘だったのだ。その鐘は永禄九年(1566)に丹波但馬の海賊に略奪されたという。但馬の海賊で知られるのは奈佐日本之介(なさやまとのすけ)だ。

毛利方の日本之介は天正九年(1581)に秀吉による鳥取城攻めに敗れて自刃する。もしかすると、鐘は日本之介から秀吉の手に渡り、温泉津へ間違って返却されたのかもしれない。温泉津の愛宕神社にも「流転の梵鐘」があります。

流転の運命を負わされたこの梵鐘は、毎年大みそかに、除夜の鐘としてつかれるそうだ。500年の時を経て今なお現役の鐘の響きは、平和の象徴といってもいいかもしれません。

ちなみに、間違えて返された島根県の「温泉津」も、昔よりみちで訪れました。

【参考記事:】

鐘をついて、煩悩をちょっぴりそぎました。

「つなかけ」で地サイダーとパン

「海士町後鳥羽院資料館」の出口のところにお土産物などを取り揃えている「つなかけ」というお店がありました。2019年にできたばかりのお店です。その昔、後鳥羽天皇がご配流になった際、その船を、そこにあった松の木につなをかけてとめたことから「つなかけ」と命名したそうです。

ピンクの看板・のれんがかわいいです。

隠岐郡海士町産のはっさくを使った、地サイダー「隠岐のはっさくサイダー」をいただきました。八朔のほろ苦い味が、後口さっぱりにしてくれます。

この後すぐに島後行きのフェリーに乗るので、お昼の代わりにパンを購入しました。製造者のところをみてみると、この土産物屋の名前「隠岐桜風舎 つなかけ」と書いてありました。

もともとは創業70年目を迎える「常盤堂製菓舗」の「ときわベーカリー」がパンを製造していたそうですが、それを「隠岐桜風舎 つなかけ」が受け継いでいるそうです。

『インド人もびっくり』が謳い文句のカレーパンと、甘さ控えめのクリームパンをいただきました。大辛口カレーでしたが、ちょうどいい刺激のからさです。クリームパンも、ホッと安心する味でした。

船の上で食べると、なんでも美味しく感じます。パンは「つなかけ」以外にも、菱浦港「キンニャモニャセンター」の売店などでも購入できます。

「ときわベーカリー」といえば、「かすていらパン」が有名なんだそうです。今回はなかったので、見かけた際は、ぜひ召し上がってくださいね。

フェリーの時間に合わせて、海士町役場前からバスに乗りました。

バスが来るまで、バス停でご一緒したみなさんに、トイピアノでよりみちコンサート開催していました。

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