岐阜県八百津町|八百津よりみち2〜「人道の丘公園」から「丸山ダム」へ

岐阜県加茂郡八百津町によりみちしました。「旧八百津発電所」によりみちした後、「人道の丘公園」「杉原千畝記念館」「丸山ダム」へよりみちしました。

【よりみちレポート】岐阜県八百津町|八百津よりみち2〜「人道の丘公園」から「丸山ダム」へ

日時:2019年11月
エリア:岐阜県(加茂郡八百津町)

八百津ファミリーセンターからよりみちをはじめて、「旧八百津発電所」や「人道の丘公園」「杉原千畝記念館」「丸山ダム」などのよりみちスポットを巡りました。

よりみちスポット

「人道の丘公園」と「杉原千畝記念館」

「そば游居 珍竹林」でお蕎麦をいただいた後、「人道の丘公園」に向かいます。坂道を5分ほど登っていきます。人道の丘までは、八百津町のコミュニティバス「コミュニティ802」が「八百津ファミリーセンター」などから走ってますので、バスで直接行かれるのが便利です。

人道の丘公園は、杉原千畝の偉大な功績を称え、後世に伝えるための記念公園として建設されました。日本庭園、芝生広場、子供広場、「杉原千畝記念館」などがあります。

「人道の丘公園」に着いて、道路の左側に見えてくるのが、ふれあい広場にある3つの山が特徴的なモニュメントです。杉原千畝がリトアニア日本領事館にいた際に、「命のビザ」を発行して多くの人を救ったと言う功績を称えた「命のビザ」モニュメントです。それぞれに鐘がついていて、鳴らすことができます。とても通る音で鳴りますので、勢いよく紐を引きすぎると、耳が痛くなるくらい響きます。程よく鳴らしてくださいね。

「命のビザ」モニュメントのあたりから見下ろす風景が素敵です。八百津の町並みが遠くに見えます。気づけばこんなに高く登ってきたことにびっくりしました。確かに、「丸山発電所」から「そば游居 珍竹林」までずっと坂道でしたし、「そば游居 珍竹林」からここまでもずっと坂道を登ってきました。

道路の右側には、アミューズゾーンとカルチャーゾーンがあり、芝生の広場がある交流広場と、遊具がある子供広場になります。長いローラー滑り台などがあります。

芝生広場ではシートを敷いて、みなさんお昼を食べていました。外で食べる食事って、普段と違った雰囲気がしていいですね。

入り口のあたりに、こちらにも鐘が並んでいて鳴らすことができます。

アクセスゾーンと呼ばれるところを進んでいくと、「ナイチンゲール像」や「シュバイツァー像」などがあります。

一番奥にあるのがメモリアルゾーン。道路の右手の道を進むと、入り口に杉原千畝の像があります。

そのまま奥へ進んでいくと、芝生広場の奥にシンボルモニュメントがあります。平和を奏でる音楽が流れます。

160本のパイプからなるパイプオルガンをイメージしたモニュメントで、デザインは、名古屋駅前の「飛翔」のデザインも手掛けた伊井伸(いい しん)さんです。

160本にしたのは、この公園ができた当時国連に加盟していた国の数からだそうです。「みんなで平和を守りましょう」というメッセージが込められています。

平日は1時間ごと、土日は30分ごとに噴水が出て、「となりのトトロ」や「風の谷のナウシカ」などの曲がオルゴールバージョンで流れます。

メモリアルゾーンの、道路から左手には日本庭園のような場所があります。奥に見える建物が、「杉原千畝記念館」です。

杉原千畝の功績を知ることのできる「杉原千畝記念館」。

第二次世界大戦中、ナチスドイツの迫害から逃れようと、ポーランドからリトアニアに脱出してきたユダヤ人数千人の命を救った外交官、杉原千畝。外務省の反対を押し切り、独断で日本への通過ビザを発給しました。
自らの危険を顧みることなく行った彼の人道的行為は、多くの人に感銘を与えています。のちにイスラエル政府から”イスラエル建国の恩人”として表彰され、リトアニアのカウナス市内には”スギハラ通り”ができています。

記念館の中は写真撮影できません。

「命のビザ」に因んで、入場券の代わりに「パスポート」がもらえます。

「杉原千畝記念館」のすぐ前に「お食事処若杉」があるので、お昼を食べることもできます。秋は松茸釜飯があります。

ここから3.5キロほど先に、「岐阜バンジー」ができるようになった「新旅足橋」があります。

「丸山ダム」が見える展望台と2つの橋「小和沢橋」「第2小和沢橋」

「人道の丘公園」から「丸山ダム」へよりみちしてみました。「人道の丘」のあたりがかなり高いところにあったので、ここからだんだん下って行く道が続きます。向こうに見える橋が、2017年頃に新しく完成した「第2小和沢橋」です。google mapのストリートビューにはまだ映像が乗っていませんでした。「第2小和沢橋」にもよりみちしてみました。「そば游居 珍竹林」のあたりが分岐になっています。

「杉原千畝記念館」から歩いて20分ほどで「第2小和沢橋」に到着。この道は、新しく「新丸山ダム」を建設するために作られた橋のようです。「岐阜バンジー」の「新旅足橋」ばかり情報が出てきて、こちらの橋の情報はほとんどネットで見つけられませんでした。

橋から向こうに見えているのが1956年に完成した「丸山ダム」です。

今いる「第2小和沢橋」の影が見えていて、向こうの端の影に比べると、めちゃくちゃ大きいのがわかります。結構高いところを通っている端です。

「丸山ダム」をみることができるところに、色々とよりみちしてみました。

「第2小和沢橋」から「そば游居 珍竹林」のあたりの道路の分岐まで戻って、北東の方へ向かいます。10分ほど歩くと、「丸山ダム展望台」があります。

「丸山ダム展望台」からは、真横から見る「丸山ダム」の風景です。ここが一番近くから見えます。ただ、「蜂に注意」の看板がたくさん掲げられていて、気が気ではありません。近くで大スズメバチが見つかっていたようです。

「第2小和沢橋」から「丸山ダム」を見たときに、ダム近くに見えていた白い橋へ向かいます。「第2小和沢橋」と「そば游居 珍竹林」の間の道をどんどんと下っていきます。7分ほど下って行くとダム近くにある「小和沢橋」へ到着。

あれ?白くなかった?

ちょうど見えていませんが、右側の草むらの向こうに白い橋があります。こちらは車が通れない「小和沢橋」です。車は白い方の橋「のぞみ橋」を通ってきます。のぞみ橋は新丸山ダム建設のために作られた仮設の橋で、新丸山ダムの工事完了とともに撤去される予定だそうです。こちらの小和沢橋に関しては存続の予定です。

「小和沢橋」は1952年に作られた吊り橋タイプの橋です。趣のあるたたずまいですね。

「小和沢橋」からは、正面に「丸山ダム」を見ることができます。

「小和沢橋」の手前を、もう少しだけ「丸山ダム」の近くまで行くことができます。この奥は立ち入り禁止です。

山のあたりの地図をgoogle mapで見てみると、道と道との間がかなり狭くなっているところが多いです。こういうところは大体高低差があるところです。坂道を行くなという予想が立ちます。地図をみて、道が混みあって書いてあるところは要注意です。八百津のあたりは、こんな道が多かったです。

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