沖縄県浦添市|沖縄本島よりみち旅17〜延伸した ゆいレール「てだこ浦西駅」から「浦添ようどれ」へ
首里城へよりみちした後、延伸したゆいレールに乗って、終点の「てだこ浦西駅」によりみちしました。ゆいレールが伸びたことによって脚光を浴びそうな、浦添市にある観光スポット「浦添ようどれ」へよりみちしました。ブラタモリでも取り上げられたみたいです。世界遺産の玉陵と同じように、自然洞窟を堀削して造営された陵墓があります。「浦添ようどれ」は「浦添大公園」の中にあり、公園内には他に「浦添グスク跡」などのよりみちスポットもあります。
日時:2020年1月〜2月
エリア:沖縄県(那覇市、浦添市)
沖縄本島に初よりみち。主に北部の名護市、本部町、今帰仁村、国頭村をめぐり、那覇市に戻りました。
よりみちスポット
延伸して新しくできたゆいレールの新駅「てだこ浦西駅」へ
首里城から最寄り駅は、実は首里駅ではなく、もう一つ手前の「儀保駅」です。しかも、帰りの方が楽です。なぜなら、坂を下りていく感じで行くことができるからです。
首里城の北側にある沖縄県立芸術大学から、信号を越えてそのまままっすぐ北の方へ進んでいきます。
沖縄県立芸術大学から歩いて7分ほどでゆいレールの「儀保(ぎぼ)駅」に到着。ここから首里駅の先、終点の「てだこ浦西駅」へ向かいました。
首里駅を過ぎると、どんどん乗客が減っていきます。終点の「てだこ浦西駅」まで乗っていたのは数えるほどしかいませんでした。駅の改札を出てみると、理由がわかりました。
駅のホームはドーム型が印象的です。
てだこ浦西駅から先の方を見てみると、まだモノレールの線路が伸びています。このあとまだまだ延伸していきそうな予感がします。どこまで行けるようになるのでしょうか。
首里の方面からやってきた方向の線路の先を見返してみると、トンネルの中から出てきました。ゆいレールの中で、唯一トンネルを通るのが、「浦添前田駅」から「てだこ浦西駅」の間なんだそうです。
ホームから改札階に降りると、天井にステンドグラスがあって綺麗です。各駅にその駅をイメージしたアート作品があるんだそうです。「てだこ浦西駅」のこの作品は「オオゴマダラてだこのまち – 太陽・空・海 ~ てぃーだ 未来線 地球号 ~」。「オオゴマダラ」という蝶々は、浦添市の県蝶に制定されているんだとか。そして、「てだこ」の意味は「てぃーだ」が「太陽」なので、「太陽の子」という意味です。
「てだこ浦西駅」から外に出てみました。なんと、まだ駅の周りは整備中でした。なるほど、乗降客が少ないわけです。パークライドの駅を目指しているらしいのですが、この「てだこ浦西駅」に車で来るのは結構至難の技なんだとか。駅の横を高架の道が走っています。それを通り越してから戻ってくる形になるので、目視しているだけだと駅を見失ってしまうんだとか。ナビに任せておかないとね。と言っても、ナビの道も新しくなっていなかったりしたらいけませんけど。
パーク&ライドのための駐車場の施設は先にできていました。駅前のロータリーや駅へ続く歩道はまだまだ工事中でした。そろそろ完成したかな?
「浦添大公園」にある「浦添城跡」へ
ゆいレールの新しい終点「てだこ浦西駅」からよりみちするところはないか調べてみると、ブラタモリでも紹介されていた「浦添ようどれ」というよりみちスポットがあるとのこと。そこで、いってみることにしました。
「てだこ浦西駅」からでも歩いていけそうでしたが、最寄り駅は一つ手前の「浦添前田駅」。せっかくゆいレール1日乗車券があったので、活用して「浦添前田駅」までいきました。
「浦添前田駅」も、「てだこ浦西駅」と同じように、絶賛工事中でした。開業して4ヶ月立ってますけど、まだこちらは駅前ロータリーもありませんでした。上から見ると面白そうな形をしています。
「浦添前田駅」には、「浦添ようどれ」がある「浦添大公園」のマップが用意されていました。ブラタモリで紹介されたエリアも掲載されていました。今回ウーーノも、ブラタモリで紹介されたエリアをいきました。
駅から近い「南エントランス」から入って、「浦添グスク・ようどれ館」の方へ抜けました。
「浦添ようどれ」に行こうとすると、「浦添大公園」の「浦添グスク」のエリアを通っていく感じになります。まずは「浦添大公園」の中にある「浦添グスク」へ向かいました。
「浦添前田駅」の駅前にある大きな交差点を渡っていきます。本当は、駅の左から伸びている階段をこちら側に降りられると、とても近いのですが、まさかの工事中。まだできていませんでした。ここからさらにもう一つ横断歩道を渡って、浦添警察署の前を西に進んでいきます。
警察署を超えると、すぐくらいに、駐車場がある「浦添大公園 南エントランス」があります。管理事務所の中に、「浦添ようどれ」が解説されているスペースもありました。ここで予備知識を入れていってもいいかもしれません。
南エントランスの手前から坂を登っていく道を行くと、浦添大公園へつながっています。
「浦添グスクの石畳道」を登っていきます。その先には足場が組まれていて、発掘調査がされていました。
浦添大公園の中でも、浦添城跡のあたりは、起伏に富んだ地形で、登っていくのはかなりしんどいです。その分、登ったご褒美で上からの景色が見られます。浦添城の城下町を一望できるわけです。
特に見学するルートが設定されているわけではないので、城跡のあたりは、自由に見て回ります。登り切ったところから向こう側の風景を見てみると、宜野湾市の街並みが広がっています。
木々に囲まれた御嶽「ディーグガマ」。かつてデイゴの大樹があったことからそう呼ばれたそうです。「ガマ」というのは「洞穴」という意味。
浦添城の名残として、立派な石垣があります。
「浦添ようどれ」に行く道と分かれて、下へ降っていく道を進んでみます。
立派な石垣を下から望ことができます。力強い雰囲気を持ちつつ、カーブを描いて、どことなく優しさも感じてしまいます。上の方にある柵のところが、さっきいたところです。「浦添ようどれ」は、この石垣の中腹くらいのところにあります。なんだか、隠されているような感じもします。
「浦添大公園」にある「浦添ようどれ」へ
分岐のところまで戻って、「浦添ようどれ」の方面の道へ。入り口のところには施錠されるもんがあって、18時になると閉まります。「暗しん御門(くらしんうじょう)」と言われる岩盤と石垣の間を通っていきます。
中御門(なかうじょう)といわれる石積みでできた門から中へ入っていきます。
ここが「浦添ようどれ」です。浦添城の石垣によって、外から隠されている感じの場所です。
「浦添ようどれ」は、浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、咸淳年間(1265-1274年)に英祖王が築いたといわれています。その後、1620年に、浦添出身の尚寧(しょうねい)王が改修し、王自身もここに葬られました。岸壁に横穴を掘り墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。「ようどれ」とは琉球語の夕凪です。
岸壁に2つの扉があります。
西室が英祖王陵。
東室が尚寧王陵です。どちらも趣があります。こちらを訪れる人は、ちらほらみえます。石に囲まれた雰囲気はなかなか素敵なので、写真に撮りたくなるのもわかります。
浦添大公園の真ん中あたりにある「浦添グスク・ようどれ館」へ抜けました。浦添城跡や浦添ようどれについて映像や出土遺物を使って説明しておりわかりやすく学ぶことができます。入館料は100円。
こちら側に見やすい地図があったので、掲載しておきます。駅でいただいた地図を見ながら歩きましたが、自由散策になるところが多いので、方向がわからなくなって結構迷います。そこらへんは、なんくるないの精神でいきましょう。
「浦添大公園」の「浦添グスク」と「浦添ようどれ」を見て回るなら、1時間〜1時間半くらいの余裕を見ておいた方がいいと思います。
帰り、「浦添グスク・ようどれ館」から「浦添前田駅」まで歩くと、15分ほどかかりました。